平成へと続く歴史

戦火を潜り抜けて、史跡としてその価値を高めていく時代

明治の大修理が敢行されて何とかその原形を保つことに成功していった姫路城は明治を終えてからは、徐々に観光地としての色味を帯びていくこととなる。その発端とも言える例は、明治の大修理が完了した直後において姫路市は、陸軍が使用していなかった本丸と二の丸、そして三の丸の一部地域を借り受け、『姫路公園』として整備して行くとそのまま一般公開を始める。人々に親しまれることになる公園だから、その後昭和時代になると姫路城そのものの価値が学術的な見解から非常に優れた、中世日本における建築様式の粋が詰め込まれている建造物を保存するため、史跡として認定できないものかという動きも見られ、それが念願叶うこととなる。正式に姫路城が当時の文部省の管理下に置かれ、その後1931年には当時の文化財としては『国宝』として認定される。国宝として認定されたのは天守を始めとした姫路城の施設総数82棟が指定された。この時代における国宝は現代の文化財保護法としてみた場合、『重要文化財』であり、厳密に言えば保存対象ではあるが国宝ではない。

そんな中で開戦された世界大戦の最中、姫路城は日本軍にとっては重要な軍事拠点としての色合いもあったため、連合軍からは空襲対象として見られていた。何とか回避しようと外壁の白を覆い隠そうとした策もとられるが、功を奏する事無く空襲を受けることになった。その際、城下付近は全滅してしまうが、本城跡などにも着弾するも不発、または直ぐに沈下されたことで何とか城そのものが消失することだけは回避することが出来た。

空襲が終了した後、無事に威風堂々と建っている姫路城を見て多くの市民がその誇らしい姿に涙し、また重要文化財が無事に残っていることを感謝したと言われている。一説として重要文化財への攻撃は避けるように命令されていたからとも考えられているが、無差別に爆撃されている例や当時の姫路城が軍にとって重要な軍事拠点であった事は知れ渡っていただろうと考えると、狙われなかったという考え方は出来ない。こうした点から、姫路城が現在までにその原形を留めていられるだけ残っていることこそ、奇跡としか言いようがなかった。

大規模な修理が長年行われる

大戦が終了してから復興作業が進められる中で、姫路城の修復も進行して行く。その中で姫路市は率先して城の保全活動に勤め、当時の市長を中心とした『白鷺城修築期成同盟』を結成し、市民の署名と共に『姫路城補修 保護施設費国庫補助嘆願』を政府に提出すると、それは無事に本会議に案件として通されて可決されるのだった。大戦が終了したこと、そして激しく蹂躙される国内の中で、立派にそそり立つ城郭を残していた姫路城はやはりある種特殊な存在として扱われていたのかもしれない。だからこそ呆気ないほどに可決され、この城を残していかなければならないとして補修費用として当時の総額1,600万円で、文部省直轄事業で行われることとなり、1950年から正式に始まる。またこの年になって姫路城に関する立ち位置もただの重要文化財から、濃く方に認定すべきだという動きも少しずつではあるが、見られるようになる。

莫大な修繕費

とにもかくにも、姫路城という建造物を残すために当時の日本政府も躍起になって文化財保全という、当時からすればかなり稀有な行動を見せるようになった。ある意味ひと皮向けた状態だったこともあるが、この城を直すためにそれこそ莫大な金額が動いていた事は想像に難くない。その内天守の工事費だけでも当時の値段で約『5億3,000万円』もの予算がつぎ込まれた。そして修繕をするための人員にはのべ25万人というこちらも大きすぎる人数を投下することで、修理が行われていくのだった。

世界遺産として、また名城として

怒涛の昭和初期から中期にかけて絶望のドン底にまで追い込まれた日本だったが、4度の高度経済成長期を経ることで歴史的に見ても無事再起することに成功した。その中で姫路城の修理も行われ、その様相はまさしく国を代表する国宝級の史跡として確実にその地位を高めていった。そして平成に入ると、正式に世界遺産として認定できないかという動きが見られるようになり、その甲斐あって1992年には世界遺産暫定リストに入り込むと、翌1993年には法隆寺地域の仏教建造物と共に日本初の世界遺産として登録された。

その後の姫路城はまさしく日本を代表する観光地として、毎年国内外問わず大勢の観光客が押し寄せる観光スポットとしてその名を馳せる。中世日本に建造された城らしく、また当時から続く職人だからこそ為せる技術が詰め込まれた城を見て、日本人のみならず海外の人々もその魅力に取り込まれていく。姫路城の評価は益々増していくと、ミシュランでは星3つの観光スポットとして認定されるだけでなく、世界の名城25選として名だたる世界各地に現存している名城たちと共に、一度は見ておきたい城の1つとして認定されるなど、世界的に見てもその価値は高く、今後も残していかなければならないものとして大いに期待が寄せられている。

だからこそ天空の白鷺といったような修理工事が行われた事で、多くの観光客がそこまで評判の城を直に見る事ができないのは観光客として辛いところ。そうした意味も含めても、姫路城周辺にはまだまだ明らかにされていない事実もあり、その調査が現在進行形で行なわれている。来年2015年の春ごろには修理も完了しているため、その圧巻たる白鷺城と名高い様相を示してくれることだろう。

天空の白鷺こと、国宝 姫路城とは

日本では国宝、世界では世界遺産として認定されている伝統文化遺跡である『姫路城』、その大天守部分を改修する工事『天空の白鷺』が2014年1月にその作業を終了した。来年の工事完了が待たれている姫路城は、今でも多くの観光客に愛されている観光地としても親しまれている。そんな姫路城について考察していこう。