こんなエピソードも

びっくり仰天過ぎる逸話も

姫路城の雑学的な話はまだまだあるが、その中でも個人的に衝撃的だったのは姫路城が売られていたという話だ。これは明治が到来し、廃藩置県が全国で施行された際に起きた出来事の1つで、新しい世の時代には俗世間において無用の長物として、城郭は廃棄の対象として扱われていく。莫大な維持費を伴うため、そんなものに貴重な予算を叩くことは出来ないとした考えた広まったことで、こうした動きに流されていき、その中には姫路城のも例外なく組み込まれていた。廃棄するため、まずは城そのものをオークションにかけて競売にかけると、当時の値段で『23円50銭』で落札された。これが大体いくらなのか現代のお金で当てはめてみると、およそ『100万円』で姫路城が売り払われていたという。なんと恐ろしい値段だ、もし現代ならあれだけの広大な土地付きで城郭を購入できるといわれたら、喜んで購入したいという人が続出するかもしれない。

ただこの頃は城の『廃棄』が命じられていたため、そこに住むというよりは捨てるために手を回す必要があるのだ。意気揚々と当時この値段で落札した男性は喜びを見せたのもつかの間、取り除くためには莫大な資金が必要となってくるため、これでは割に合わないとして早々に権利を手放したという。賢明な判断を取り、そして国としてもそこまでの予算を出すことは出来ないとして、そのまま残すことに決まったが、それがかえって面倒な展開を巻き込む。昭和2年、一度は落札されたが廃棄するための費用が莫大過ぎるため権利を手放した落札者の息子が、父が買い取ったのだからそれは我が一族が所有権を持っていると主張して、当時の大蔵省と訴訟問題に発展するという事態が巻き起こる。国にしてみれば今更何を言っているのだというところだが、息子にしてみればそんな事は関係ないといった感じだったのだろうが、主張するにしても遅すぎた。手放してから時間が経過しすぎていたこと、証拠などを集めるのが困難ということも相まって、弁護士も勝てる勝負ではないと誰も引き受けなかったため、そのままになってしまったそうだ。それよりも買取が決まった直後に買取そのものが取り消しになっていた事が調査で判明しており、裏側で何かとトラブルが生まれていたようだ。経緯の沙汰はもはや誰も知るところでは無いが、姫路城が個人に売却されていたらどうなっていたかと考えると、それはそれでどうなっていたのかと興味を示してしまう。

戦闘時、決して不利にならないよう巧みに構成された城郭

仰天する姫路城売却騒動と、権利主張問題はかなりインパクトあるが、こちらはこちらで相当念入りに作り込まれている印象を持つことが出来る部分も姫路城には存在している。それは天守閣までの道のりだ。戦乱の時代、もしも城に敵兵が突入してきたら天守を攻め落とされては敗北を意味している。そう簡単に打ち落とされないようにするためにも、城内は複雑に入り組んだ構成となっている事が多く、それは姫路城もやはり例外では無い。

まず天守に近づけないよう迷路を思わせる縄張り、そして敵を攻め込む仕掛けが各所にて構成されている。その中の1つとして、菱の門を潜った後のことを取り上げてみよう。進んでいくと3つに道が分かれており、真ん中を進むといの門、左は西の丸へ行く上り坂があり、右手は行き止まりになっているように構成されている。ここで侵入してきた敵が迷っていると、正面からは本陣からの攻撃、西の丸からは狭間から銃撃の嵐、右手の石垣から兵士が飛び出して敵を挟み撃ちにして殲滅することが出来るようになっている。

こうした仕掛けも姫路城各所に見られている仕掛けの1つで、物理的・心理的共に追い込みを掛けるように城郭内は複雑になっているなど、そこから見られる考えられた城作りを垣間見ることが出来るのも城見学の特徴といえるだろう。

実際には建城以来、戦火に巻き込まれることはなかった

城内部の複雑化された迷路は敵の侵入と戦乱を備えての対策だったが、姫路城は建城されてから400年もの間、実際には一度も戦火に炙られることはなかった。それも昭和期における世界大戦でも城下町こそ被害にあったが、大天守を始めとした城の主要施設がほとんどダメージを蒙る事無く現存している、これはまさしく奇跡の一言に尽きる。世界各国に様々な城が存在しているが、何かしら争いの火種に巻き込まれる事はあっても、城そのものが一度も被害を受けたことは無いという事実に関しては、姫路城と同じような城は存在していないかもしれない。『不戦・不焼の城』とも呼ばれている姫路城だからこそ、世界遺産として登録するだけの価値はあると考えられたという事だ。一時期は廃藩置県の影響で取り壊されることも考えられていたが、有耶無耶に話が掻き消えた事が不幸中の幸いだったということになる。

そう考えると姫路城最大の危機的状況に遭遇したのは世界大戦ではなく、新しい時代には城などという中世の異物を残しておくなど言語道断、といった機運が立ち込めていた明治の黎明期そのものが最大の障害であり、そして敵だったと考えることも出来る。新しい時代が来ると期待されていた頃だが、学術的に考えればその考えほど恐ろしいものは無い。その視点からでも姫路城が騒動に巻き込まれながらも、時代を生き残ったのは不幸中の幸いであり、何度も話したとおり『奇跡』の一言に尽きる。

天空の白鷺こと、国宝 姫路城とは

日本では国宝、世界では世界遺産として認定されている伝統文化遺跡である『姫路城』、その大天守部分を改修する工事『天空の白鷺』が2014年1月にその作業を終了した。来年の工事完了が待たれている姫路城は、今でも多くの観光客に愛されている観光地としても親しまれている。そんな姫路城について考察していこう。